図録 愛しのマン・レイ展

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2025年1月11日(土)~3月23日(日)開催
「生誕135年 愛しのマン・レイ展」の図録です。

【展覧会の概要】
彼は過激なアナーキストか?
それとも、温和なヒューマニストか?

 マン・レイ(1890-1976)は画家、写真家、オブジェ作家、映像作家として多彩な顔をもつマルチアーティストでした。また、多様な国々の、多様な考えをもつ友人たち、異なるジェンダーの人々とも別け隔てなく親交を結んでしまう、陽気で憎めない⼈柄の持ち主でもありました。 彼が生み出したひとつひとつの作品には、どことなくウィットを感じさせる雰囲気があります。
 彼は自身や家族の出処や素性を語ることを嫌いましたが、それゆえか彼についての行動や足跡は、いまなお詳らかでない部分があります。彼が姪に対して、「私は謎だ―答えがあるとすれば、私の油彩画やデッサンの中に見つかるだろう*1」と語ったことは有名です。

 本展は、当館所蔵の作品と豊富なシュルレアリスム・コレクションを所蔵する岡崎市美術博物館の作品、マン・レイの蒐集家・研究家で知られる石原輝雄氏所蔵の作品、そして同氏が所蔵する膨大なアーカイブ資料をよりすぐって展示し、彼の足跡とその愛すべき人間性に迫ります。

*1 ニール・ボールドウィン『マン・レイ』鈴木主税訳、草思社、1993年、p.450より引用


◆展⽰構成
〈第1章〉 ニューヨーク⇄リッジフィールド時代(1906-1920)
 マン・レイは 1890年8⽉27⽇、アメリカのフィラデルフィアに⽣まれ、ニューヨークで育ちました。⾼校卒業後、フェレール・センターで絵を習うとともに、1913 年2⽉に開催された「アーモリー・ショー」や、写真家アルフレッド・スティーグリッツが経営する291画廊で⾏われる展覧会に触れ、半ば独学で絵画制作に取り組みます。
 1913年春からはニューヨーク郊外のリッジフィールドで友⼈たちとの共同⽣活を始め、そこで⼥性詩⼈で最初の妻となるアドン・ラクロワや⽣涯の盟友マルセル・デュシャンとの出会いも果たします。1915年10⽉、ダニエル画廊で初めての個展を開催するなど、アーティストとしての活動をスタートさせ、「アエログラフ」などの独⾃の描法にも取り組みました。
 そして、1921年4⽉、デュシャンらと雑誌『ニューヨーク・ダダ』を発⾏した頃には名実ともにダダの仲間⼊りを果たし、いよいよアーティストとして頭⾓を現し始めます。

〈第2章〉第1次パリ時代(1921-1940)
 1921年7⽉、マン・レイはフランスのパリに渡ります。第1次⼤戦後の活気を取り戻しつつあったパリで、彼は異邦⼈の住処と化していたモンパルナスを拠点に、後に「シュルレアリスム」のグループを結成することとなる詩⼈のアンドレ・ブルトンやポール・エリュアール、画家のフランシス・ピカビアやマックス・エルンストをはじめ、ファッションデザイナーのポール・ポワレ、⽂学者のアーネスト・ヘミングウェイなど、⽂化⼈から富豪、貴族に⾄るまで多⽅⾯の⼈々と交友し、アーティストとして活動の幅を広げていきます。
 パリでは多くの⼥性とのロマンスもありました。「モンパルナスの⼥王」といわれたキキ、リー・ミラー、アディとの恋愛や失恋の中で《アングルのヴァイオリン》、《破壊されるべきオブジェ》、《天⽂台の時間―恋⼈たち》など多くの傑作も⽣まれました。
 また、この頃マン・レイは、写真の分野で⼤きく才能を開花させました。「レイヨグラフ」「ソラリゼーション」という新たな⼿法をとった写真作品は世間の注⽬を浴び、彼ならではの視点で撮られたポートレート写真やファッション写真も、パリにおける彼の⼤事な仕事のひとつでした。

〈第3章〉ハリウッド時代(1940-1951)
 第2次⼤戦の戦⽕を逃れるため、マン・レイは恋⼈のアディに別れを告げ、1940年8⽉、故郷ニューヨークへ戻りました。故郷での⽣活に気乗りしなかったマン・レイは、友⼈の誘いに乗りアメリカを横断する旅へ同⾏しました。そこで訪れたハリウッドで、彼は⽣涯の伴侶となるジュリエット・ブラウナーと出会い、この地で10年余を過ごすことになります。
 1944年9⽉には、サークル画廊で《ミスターナイフとミス・フォーク》をはじめとしたオブジェを「我が愛しのオブジェ」として発表、1948年12⽉には、コプリー画廊で個展「⽬⽴たずに続けるべきこと」を開催、パリのポアンカレ研究所で撮影していた数学的オブジェの写真を元に制作した「シェイクスピア⾵⽅程式」の絵画シリーズ17点を発表するなど、精⼒的に制作に取り組みます。
 ハリウッドでのマン・レイは写真を⼿がけることは少なく、絵画・オブジェに加え、『⼤⼈のためのアルファベット』のような⾔葉と関連づけたデッサンをまとめた書籍を制作するなどの創作活動に没頭し、⾃らのアイデンティティを再確認することとなりました。

〈第4章〉第2次パリ時代(1951-1976)
 1951年3⽉、マン・レイはジュリエットを伴い再びパリに渡り、モンパルナスのフェルー街にアトリエを構えました。彼は「進歩がない」との批評を物ともせず新作を⼿がける⼀⽅で、⾃らのアイコンを流布するかのように、⾃作のリメイク作品を量産していきます。1963年4⽉に刊⾏した⾃伝『セルフ・ポートレイト』も反響を呼びました。
 そして、1966年10⽉にロサンゼルス・カウンティ美術館で300点を展⽰した⼤回顧展に代表されるように、欧⽶各地で毎年のように回顧展が開催されるようになりました。現在に⾄るまで定期的に彼の展覧会が開催され続けていることは、彼と彼のアイコンというべき作品が、いつしか愛されるべき存在として認知されたことの証左とも⾔えるでしょう。

 1976年11⽉18⽇、マン・レイはジュリエットが⾒守る中、パリのアトリエで静かにその⽣涯を閉じました。


◆出品作品概要
絵画 (油彩・⽔彩・版画)約60点/ミクストメディア・オブジェ約30点/写真約80点/書籍約30点/資料類約150点

◆学術監修者略歴
フランシス・M・ナウマン/Francis M Naumann
フリーランスの学者、キュレーター。専⾨はダダおよびシュルレアリスム時代の美術。
著書には『ニューヨーク、ダダ 1915-25年』(ハリー・N・エイブラムス、1994年)や『マルセル・デュシャン:機械的な複製の時代における芸術の制作技法』(ルディオン・プレス、1999年、ハリー・N・エイブラムス配給、ニューヨーク)等がある。
「悪戯:ダダ、によるニューヨーク侵攻」展(ホイットニー美術館、1996年)、「ベアトリス・ウッド」展(アメリカ⼯芸博物館、1997年)、「モダニズムへの転換:マン・レイの初期作品」展(モントクレア美術館/ジョージア美術館/テラ美術館、2003-2004年)等を企画。「デュシャン マン・レイ ピカビア」展(テート、2008年)ではコンサルタントとして協⼒・執筆している。

【図録の概要】
A4縦 199ページ

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